『気になる嫁さん』、気になるもの(3)
『気になる嫁さん』のCSでの放映も、今週で早くも第24話。回を重ねるに連れ、清水家のリビングや各部屋のインテリアに、だんだん愛着が湧いてくるから不思議です。ツイッターでフォローしていただいているある方が「清水家のインテリアは、伝統的な日本家屋に70年代のモダンさが入り込んでいる。この何とも言えないチグハグな感じが魅力的」と言っておられました。
昭和46年、初回放映された当時は、さして違和感はありませんでしたが、40年あまり経った今、あらためて清水家の内装を見ると、たしかに、そういう感じもしますね。
例えば、木桶風呂と洋式トイレが一緒に置かれた風呂場。伝統的な日本家屋では木製の浴槽が普通だったとはいえ、昭和46年当時は、既に強化プラスチックや樹脂製が主流であったと記憶しています。逆に、その横にある洋式トイレは、当時はまだ普及途上でした。ドラマの中では、風呂とトイレがいっしょになっているということをネタにコメディーが展開するわけですが、この古風な木桶風呂と、トレンディな洋式トイレの組み合わせは、やはり奇妙で、何かワケアリな感じがします。
第3話より
第20話より
ところで、清水邸はいつ頃建てられたのでしょうか?ドラマの中で、ばあやさんが「20年もこの家にご厄介になっている」と言っていたので、昭和26年には世田谷区・砧に今の家屋が建っていたわけです。おそらく建てられたのは、さらにその数年前で、戦後、間もなくの頃でしょう。建てられた当初は洋式の水洗トイレなどは無かったはず。その後、何かの事情で清水邸はリフォームされた結果、奇妙な風呂場兼トイレが出来上がったのだと想像しています。
財政事情も芳しくない清水家が、何故、リフォームを、と思われる方もいるかもしれませんが、実は、世田谷などは、昭和40年代初頭に、トイレのリフォームをする家庭が多かったんです。
東京都といえども、世田谷のような田舎は公共下水道の整備が遅れていて、長らく「汲み取り式」のトイレが普通でした。バキューム車が定期的に各家の「肥溜め」を汲み取りに来てたんですね。トイレと言うより、便所か、厠と言ったほうが似つかわしいかもしれません。向田邦子さんなら、「ご不浄」という言葉を使っていたところでしょうか。
この「ご不浄」、昔は廊下の突き当りになんかにあるご家庭が多かったと思います。肥溜めが臭いので、なるべく敷地の裏手で隅っこに置きたいですよね。清水家も建てられた当初は当然「汲み取り式」だったはずで、元々、トイレは風呂場とは別の場所にあったと考えられます。おそらく、この地域も昭和40年代初頭に公共下水道が整備され、水洗トイレの設置が可能になったはずです。区も汲み取りサービスを早く停止したいので水洗トイレの普及を促進していたのでしょう。清水家も、いよいよ水洗トイレの工事を迫られました。
その時の、清水家の様子。
文彦 「外国では、風呂場とトイレが一緒になっているんだ。工事費も安上がりだし、この際、トイレを風呂場に置いちまおう。それに、この木桶風呂もまだ使えるじゃないか。 Understand?」
力丸 「なんだよー、それ。風呂場にトイレなんて聞いたことないぜ。シャワーぐらい浴びたいよな」
文彦 「ふっん! 生意気なこと言うんじゃーねえ。誰が稼いでると思ってんだ?!」
小夜子 「あーら、アタシだって、お金入れてるんですからね」
文彦 「じゃー、アネキ払ってくれるか」
小夜子 「文彦!!」
ロ之助 「お前らに任せるよ、好きなようやってくれ。わたしゃ、金は出さんから」
文彦 「オヤジは黙ってろ! 誰も、オヤジに出してくれなんて言ってねーよ」
たま 「舶来のトイレなんて、使い方がわかりませんです!」
輝正 「まあ、まあ、まあ、まあ、まあ。清水家の財政事情を考えると背に腹は変えられません。この際、文彦の案で行くとしましょう」
小夜子 「ほーら、自分だってお金出すのイヤなんでしょ」
文彦 「さすが、長男」
純 「洋式トイレなんて、イッカスー」
力丸 「ちぇ、やってらんねーや」
そんな、こんなのお決まりのひと騒動があって、何とも奇妙な風呂場兼トイレが誕生したんですね、きっと。
今見ると、清水家のインテリアからは、チグハグさを感じますが、当時の家は多かれ少なかれそんな風だったと思います。尺貫法で軸組在来工法の、伝統的な日本家屋がまだ一般的な時代。そこに、ソファー、洋式トイレ、ベッド、ステレオ、ドレッサーなどが入り込んで来たのが、ちょうど、あの頃だったと思います。
ベテラン映画人達が創る石立ドラマの世界は、そういう現実も忠実に再現されているので、奇妙なまでのリアルさを感じるのかもしれませんね。一方、そのリアルな世界で繰り広げられるのは、現実ではあり得ないような話。このチグハグさも、石立ドラマの魅力です。
***
引き続き、「気になるもの」をピックアップしてみました。
第6話
6.1 京王線2000系電車
調べたら、当時、京王線は旅客数の急増に車両数が追いつかず、こんな古い車両も各駅停車なんかに使用していたようです。
6.2 スティーブ・マックイーンの『大脱走』
この映画を観て、バイクに憧れた若者たちが多かったのでは。力丸や純のバイクが清水家の玄関脇にあってもよさようですが。
6.3 少年キング
いつの間にか、廃刊されてしまいましたね。
第7話
7.1 聖徳太子の一万円札
「聖徳太子」は長らく、一万円札の代名詞でした。
第8話
8.1 「サッポロ一番塩らーめん」、「ハウスバーモントカレー」
両方ともロングセラーの代表格。「サッポロ一番塩らーめん」は昭和46年9月発売。当時、売り出したばかりだったんですね。現在、カレールー市場でハウスは60~65%のシェアを握るそうです。ハウスのカレーのうち、半分はバーモント。つまり、日本のカレールー全体で30%を占める商品。
第11話
11.1 Discover Japan
当時、国鉄が旅客数を増やす為に展開していたキャンペーン。このキャンペーンで始まった旅番組『遠くへ行きたい』は、今も続いています。
第13話
13.1 0系新幹線
今見ても、斬新なデザイン。歴史に残る名車。
13.2 MG5
資生堂の男性用化粧品のロングセラー・ブランド。黒と銀の格子縞のデザインが印象的でした。最近、無くなってしまったようです。
第15話
15.1 ドル・ショック
昭和46年12月18日、1ドルが360円だったものが、308円になり日本経済に衝撃が走りました。第15話の放映は昭和47年1月12日。石立ドラマは、撮影から放映まで、本当にギリギリのスケジュールでやっていたんですね。
第16話
16.1 西麻布の交差点
めぐみの背後に見えるのは西麻布の交差点。当時は、平凡というか、うらびれた所だったんですね。80年代のバブルの頃は、交差点角のアイスクリーム屋「ホブソンズ」に行列ができていました。
16.2 西麻布、FUJIFILM本社
FUJIFILMの社名がはっきりとドラマ映像に写っているのは、何か理由があるのでしょうか? 一説によると、『気になる嫁さん』の撮影フィルムはFUJIを使用していたのだとか(真偽のほどは不明)。
第20話
20.1 めぐみのバースデー・ケーキ
めぐみは一体、何歳なのか? ロウソクの数からすると、この誕生日で満20歳。
第23話
23.1 かつお節削り器
当時はすでに削り節パックや、粉末のだしの素は出回っていたと思いますが、めぐみは削り器を使っていましたね。おそらく、ばあやさんが使い続けているので、清水家の作法に従ったのかもしれません。めぐみらしいですね。
(続く)
昭和46年、初回放映された当時は、さして違和感はありませんでしたが、40年あまり経った今、あらためて清水家の内装を見ると、たしかに、そういう感じもしますね。
例えば、木桶風呂と洋式トイレが一緒に置かれた風呂場。伝統的な日本家屋では木製の浴槽が普通だったとはいえ、昭和46年当時は、既に強化プラスチックや樹脂製が主流であったと記憶しています。逆に、その横にある洋式トイレは、当時はまだ普及途上でした。ドラマの中では、風呂とトイレがいっしょになっているということをネタにコメディーが展開するわけですが、この古風な木桶風呂と、トレンディな洋式トイレの組み合わせは、やはり奇妙で、何かワケアリな感じがします。
第3話より
第20話より
ところで、清水邸はいつ頃建てられたのでしょうか?ドラマの中で、ばあやさんが「20年もこの家にご厄介になっている」と言っていたので、昭和26年には世田谷区・砧に今の家屋が建っていたわけです。おそらく建てられたのは、さらにその数年前で、戦後、間もなくの頃でしょう。建てられた当初は洋式の水洗トイレなどは無かったはず。その後、何かの事情で清水邸はリフォームされた結果、奇妙な風呂場兼トイレが出来上がったのだと想像しています。
財政事情も芳しくない清水家が、何故、リフォームを、と思われる方もいるかもしれませんが、実は、世田谷などは、昭和40年代初頭に、トイレのリフォームをする家庭が多かったんです。
東京都といえども、世田谷のような田舎は公共下水道の整備が遅れていて、長らく「汲み取り式」のトイレが普通でした。バキューム車が定期的に各家の「肥溜め」を汲み取りに来てたんですね。トイレと言うより、便所か、厠と言ったほうが似つかわしいかもしれません。向田邦子さんなら、「ご不浄」という言葉を使っていたところでしょうか。
この「ご不浄」、昔は廊下の突き当りになんかにあるご家庭が多かったと思います。肥溜めが臭いので、なるべく敷地の裏手で隅っこに置きたいですよね。清水家も建てられた当初は当然「汲み取り式」だったはずで、元々、トイレは風呂場とは別の場所にあったと考えられます。おそらく、この地域も昭和40年代初頭に公共下水道が整備され、水洗トイレの設置が可能になったはずです。区も汲み取りサービスを早く停止したいので水洗トイレの普及を促進していたのでしょう。清水家も、いよいよ水洗トイレの工事を迫られました。
その時の、清水家の様子。
文彦 「外国では、風呂場とトイレが一緒になっているんだ。工事費も安上がりだし、この際、トイレを風呂場に置いちまおう。それに、この木桶風呂もまだ使えるじゃないか。 Understand?」
力丸 「なんだよー、それ。風呂場にトイレなんて聞いたことないぜ。シャワーぐらい浴びたいよな」
文彦 「ふっん! 生意気なこと言うんじゃーねえ。誰が稼いでると思ってんだ?!」
小夜子 「あーら、アタシだって、お金入れてるんですからね」
文彦 「じゃー、アネキ払ってくれるか」
小夜子 「文彦!!」
ロ之助 「お前らに任せるよ、好きなようやってくれ。わたしゃ、金は出さんから」
文彦 「オヤジは黙ってろ! 誰も、オヤジに出してくれなんて言ってねーよ」
たま 「舶来のトイレなんて、使い方がわかりませんです!」
輝正 「まあ、まあ、まあ、まあ、まあ。清水家の財政事情を考えると背に腹は変えられません。この際、文彦の案で行くとしましょう」
小夜子 「ほーら、自分だってお金出すのイヤなんでしょ」
文彦 「さすが、長男」
純 「洋式トイレなんて、イッカスー」
力丸 「ちぇ、やってらんねーや」
そんな、こんなのお決まりのひと騒動があって、何とも奇妙な風呂場兼トイレが誕生したんですね、きっと。
今見ると、清水家のインテリアからは、チグハグさを感じますが、当時の家は多かれ少なかれそんな風だったと思います。尺貫法で軸組在来工法の、伝統的な日本家屋がまだ一般的な時代。そこに、ソファー、洋式トイレ、ベッド、ステレオ、ドレッサーなどが入り込んで来たのが、ちょうど、あの頃だったと思います。
ベテラン映画人達が創る石立ドラマの世界は、そういう現実も忠実に再現されているので、奇妙なまでのリアルさを感じるのかもしれませんね。一方、そのリアルな世界で繰り広げられるのは、現実ではあり得ないような話。このチグハグさも、石立ドラマの魅力です。
***
引き続き、「気になるもの」をピックアップしてみました。
第6話
6.1 京王線2000系電車
調べたら、当時、京王線は旅客数の急増に車両数が追いつかず、こんな古い車両も各駅停車なんかに使用していたようです。
6.2 スティーブ・マックイーンの『大脱走』
この映画を観て、バイクに憧れた若者たちが多かったのでは。力丸や純のバイクが清水家の玄関脇にあってもよさようですが。
6.3 少年キング
いつの間にか、廃刊されてしまいましたね。
第7話
7.1 聖徳太子の一万円札
「聖徳太子」は長らく、一万円札の代名詞でした。
第8話
8.1 「サッポロ一番塩らーめん」、「ハウスバーモントカレー」
両方ともロングセラーの代表格。「サッポロ一番塩らーめん」は昭和46年9月発売。当時、売り出したばかりだったんですね。現在、カレールー市場でハウスは60~65%のシェアを握るそうです。ハウスのカレーのうち、半分はバーモント。つまり、日本のカレールー全体で30%を占める商品。
第11話
11.1 Discover Japan
当時、国鉄が旅客数を増やす為に展開していたキャンペーン。このキャンペーンで始まった旅番組『遠くへ行きたい』は、今も続いています。
第13話
13.1 0系新幹線
今見ても、斬新なデザイン。歴史に残る名車。
13.2 MG5
資生堂の男性用化粧品のロングセラー・ブランド。黒と銀の格子縞のデザインが印象的でした。最近、無くなってしまったようです。
第15話
15.1 ドル・ショック
昭和46年12月18日、1ドルが360円だったものが、308円になり日本経済に衝撃が走りました。第15話の放映は昭和47年1月12日。石立ドラマは、撮影から放映まで、本当にギリギリのスケジュールでやっていたんですね。
第16話
16.1 西麻布の交差点
めぐみの背後に見えるのは西麻布の交差点。当時は、平凡というか、うらびれた所だったんですね。80年代のバブルの頃は、交差点角のアイスクリーム屋「ホブソンズ」に行列ができていました。
16.2 西麻布、FUJIFILM本社
FUJIFILMの社名がはっきりとドラマ映像に写っているのは、何か理由があるのでしょうか? 一説によると、『気になる嫁さん』の撮影フィルムはFUJIを使用していたのだとか(真偽のほどは不明)。
第20話
20.1 めぐみのバースデー・ケーキ
めぐみは一体、何歳なのか? ロウソクの数からすると、この誕生日で満20歳。
第23話
23.1 かつお節削り器
当時はすでに削り節パックや、粉末のだしの素は出回っていたと思いますが、めぐみは削り器を使っていましたね。おそらく、ばあやさんが使い続けているので、清水家の作法に従ったのかもしれません。めぐみらしいですね。
(続く)
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